「あの有名人もADHDだった!」系の記事を見るたびに思うこと。
よく発達障害に関する本の中に、ADHDの有名人とか載っていますよね。
こういうの ↓
実際に診断を受けたと公表している、マイケル・フェルプス(水泳)とか、
ブリトニー・スピアーズ(アメリカの歌手)とかは、まだわかるとしましょう。
大昔の偉人に関しては、エピソードからの推測ですよね…?
あれ?もしかしてDSM診断受けてます…?
↓よく載っている人たち ↓
- エジソン(発明家)
- アインシュタイン(物理学者)
- レオナルド・ダ・ヴィンチ(画家)
- ヘミング・ウェイ(作家)
- モーツァルト(音楽家)
- ピカソ(画家)
- ベンジャミン・フランクリン(政治家)
- ケネディ大統領(政治家)
- ウォルト・ディズニー(アニメ作家)
- 織田信長(戦国武将)
- 坂本龍馬(幕末志士)
この中の何人かは、ADHDの本にはADHDとして載っていて、アスペルガーの本にはアスペとして載っていたりします(笑)適当だなぁ。
こう、時に思うのが、これって、偉人だからエピソードが後世に残ってるってだけで、偉人にはADHDが多いという証明に果たしてなっているのかということです。しかも、後世に残したいほどビッグなエピソードだから伝わってきているんでしょう?
つまり、江戸時代の農民の八兵衛さんとか、与作さんもADHDっぽいエピソードが残っているとかいうなら、統計として、偉人にADHDが多いか少ないか言えるけど、そうじゃないだろうと。偉人の中にも確かにADHDがいたかもしれないけど、その何十倍も定型発達の偉人がいるだろうよと。
つまり何が言いたいかというと、いいかげん発達障害=偉人にたくさんいるみたいな
誤解を与える表現を世に出すの止めようと。これをテレビで堂々と言ってくれたのが、今年にADDであることをカミングアウトした栗原類さんですよね。
周囲にADHDを打ち明ける時、分かってほしいが為に、安易に有名人の名前を挙げると、かえって誤解を招きやすかったりしませんか?「え?じゃあ、お前もすごいやつなの?」みたいな。これって、結果的に障害名じゃなくて、凹凸がある部分も含めて一人の人として見て欲しい、というところからかえって遠ざかってしまっている気がするんです。だって、この後に落差で「やっぱりダメなやつ」って思われる、そっちのほうが簡単に想像できるんだもの。てか、こっちは最初からそのつもりだよっ!と、どこにもぶつけようのない虚しさが残ります。
発達障害が受け入れられる世の中に…って言葉には、こういう引き合いの出し方も問題として含まれるよなぁとちょっと思った、という話でした。
とは言いつつ、ズーイー・デシャネルがADHDって、今さっき知って
え!?マジでヽ(・∀・ )ノ キャッ キャッ 一緒だ!ってなったけどね。うっかり。
(´-`).。oO(持っている発達障害が同じでも、お前には他に何もズーイーの要素ねえよ)
まあ、俗世に生きる人間、尊敬する人や偉人との共通点は、たとえどんなことであっても嬉しいってことかしらね…。あ、先日自分に向けて戒めに呟いたやつ、貼っておきますね。
発達障害だから、トム・クルーズのように活躍できるかもという淡い期待は、吹石一恵と同じ女性だから福山と結婚できるかもと思うくらい甚だしい勘違いであることを認識すべき。
— むーこ(mu-co)ADHD (@mumumumumu_co) 2015年10月1日
↓ 可愛いよ〜、ズーイー・デシャネル!↓
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