アラサー女の 成人ADHD記録〜ストラテラ飲んで仕事します〜

アラサー女、成人のADHDだけど、ストラテラの力を借りて、わりと楽しく生きてます。

良い子でしかいられなかった長女の私と「愛着障害」①

「あなたは、愛着障害の傾向が強いかもね」
ADHDとうつ病で通っている病院の先生にそう言われたのは、
うつ病の初期、起き上がるのもやっとな時期に実家での療養のため数週間帰省し、
戻ってきて診察を受けた時でした。

 

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うつ病になると、一人暮らしでは何かと不自由が生じます。
日常の生活もままならないし、一人でずっと部屋にいると気分は落ち込む一方だし。
分かっていましたが、自分ではあまり実家に戻りたいとは思えない。
けど、心配してくれる上司や先生の勧めもあり、帰省を決めました。

 

でも、実家に戻って過ごしていた日々は、安心できる環境や、安らぎとは程遠く、
気遣いと罪悪感で押しつぶされそうな日々でした。
妹たちは、大学を出て仕事についてちゃんと一人暮らしをしながら頑張っている。
父も母も、何十年もちゃんと仕事について生活をしている。
そんな中で自分だけが、仕事でうまくやっていくことに失敗し、うつ病になり
実家に戻ってきた。情けなくて、恥ずかしくて、悪い夢だと思いたかった。

 

 

「寝てていいんだよ」「そんなことしなくていいのに」どうしても落ち着かなくて、
リビングに出てきては、一緒にテレビを見て過ごしたり、夕方になると夕飯づくりの
手伝いをする自分に、親は言いました。
(でも、寝ていたら心配するでしょう?)
(働いてないのは自分だけなんだからこれくらいしなくちゃいけない)
そう思っていました。でも、実際のところ、テレビの音は煩くて耐え難かったし、
ぼーっとした頭では夕食のメニューを考えても、すぐに頭から消えるし、
おぼつかない手で料理をしても、本当にこれで美味しくできているのか不安で不安で
仕方なかった。それでも自分だけ休んでいるなんて出来なかったんです。どうしても。


昔から、どこに行っても「しっかり者のお姉ちゃん」と言われていました。
自他共に認める典型的な長女体質です。お父さん、お母さんを困らせちゃいけない、
妹たちの面倒をしっかりみなきゃいけない。自分の中に芯としてあるのはそればかりでした。加えて、両親は共に教師をしていました。学校の先生の子どもなんだから、
良い子でなければいけない、そんな風にずっと思い込んでいました。
だから、何を聞かれても自分が答えるべき答えは「教師である両親の子として、長女として正しい答え」。こう言えば、相手は満足だろう、喜ぶだろう。親も鼻が高いだろう。それが自分にとっての「答えるべき答え」でした。そうしていれば、目の前の人(親戚や担任や近所の大人)はちゃんと喜ぶし、親の機嫌もいいし、そうすれば自分にとって不利になることは何もない。このやり方で何の問題もなかったんです、大きくなるまでは。

大学に行ったり、就職して仕事を始めると、だんだん「あなたはどう思う?」と問われることが多くなってきました。それでも多くは、「こういう風に答えたら相手は喜ぶだろうな」という答えが自分には自然とわかるようになっていたので、それで済ませていました。でも、たまに、答えられないことが出てくるようになってきました。「何をしたい?」「何が好き?」どちらも、考えたことがなかったです。「自分が、したいこと」「自分の好きなもの」は。

 

小さな頃のそれは、あくまでも「言うだけ」。「将来は◯◯になりたい」そう「言う」ことが褒められていました。だから、褒められそうな言葉を◯◯に入れた。でも、大人になり、言うことと、現実の距離がどんどん近づくにつれて、今まで体験したことのない恐怖感が出てきました。本当に、自分がやりたいことがわからない。しかも、ちょうどこの頃に自分のADHDに気づき始めて、「もしかして自分は、他の人より劣る存在なんじゃないか」「自分にはやりたいことがあったとしてもできないんじゃないか」という思いが出てきました。でも、それをごまかしながら、直視しないようにしながら、30歳直前まで生きてきました。バレないように、みんなが帰った深夜に必死で仕事を進めて、寝る間も休む間も惜しんで働くことが、自分にとって課せられたものだと思って疑わなかったです。幸い、仕事自体は楽しかったし、その仕事が他の人から凄いね、羨ましいなと言ってもらえる仕事だったから、自分のプライドはなんとか保てていました。

 

そんな時にかかった、うつ病。絶望的な気分になりました。「できないやつだったことがこれでバレてしまった」「もう、人から信頼してもらえない」「失敗してしまった」そんな思いでした。最後の最後まで「親にだけは知られたくない」と思っていました。
こんな情けない姿を見せたくない、と。親にとって自分は、完璧な娘でいなければならないはずだったのに。

 

こんな思いを捨てられないまま実家へ戻ったので、療養どころか、虚勢を張って無理をしてしまい、疲弊しきってしまいました。小さな頃から、親の前では言いたいことも言えないで無理をしてばっかり。あかの他人よりよっぽど気を遣ってしまいます。

 

そんなことを、一人暮らしをしている家へ戻ってから、病院で先生に話しているときに言われたのが、「愛着障害の傾向が強い」でした。

 

長くなってしまったのでに続きます。

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