読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

アラサー女の 成人ADHD記録〜ストラテラ飲んで仕事します〜

アラサー女、成人のADHDだけど、ストラテラの力を借りて、わりと楽しく生きてます。

良い子でしかいられなかった長女の私と「愛着障害」②

「愛着障害」という言葉は、以前に保育関係の勉強をした時に知りました。
全く自分のこととは関係なしに、知識の一つとして単語を覚えていたくらいでしたが。

 

【愛着障害】あいちゃく‐しょうがい〔‐シヤウガイ〕

乳幼児期に長期にわたって虐待やネグレクト(放置)を受けたことにより、保護者との安定した愛着(愛着を深める行動)が絶たれたことで引き起こされる障害の総称。愛着障害を示す子供には衝動的・過敏行動的・反抗的・破壊的な行動がみられ、情愛・表現能力・自尊心・相手に対する尊敬心・責任感などが欠如している場合が多い。他人とうまく関わることができず、特定の人との親密な人間関係が結べない、見知らぬ人にもべたべたするといった傾向もみられる。愛着障害(アイチャクショウガイ)とは - コトバンク

 私は、虐待やネグレクトを受けた覚えはなかったので、先生に違うのではないかと言いました。だけど、虐待等がなくても、一緒に過ごす時間が足りなかったりすることで、この期間に甘えることができないと同じ状態になるとのこと。

 

f:id:adhd_misoji:20151004154758j:plain

私の母は、出産後、育児休暇を取らずに、すぐに仕事復帰したそうで、その間私は“祖母”に預けられていたそうです。(“祖母”と数年前まで信じていましたが、父の後見人であった父の叔母で、子どもがいない未婚であったことを大人になって偶然知りました。それでも私にとっては、大切なおばあちゃんです。)乳児期のことなので記憶がないのですが、考えられるとすれば、その時に寂しい思いをしていたのでしょうか。母はちょうど、夢だった仕事についたばかりで、子育てをしながらも当時は忙しく働いていたと聞いています。

 

 

私には、幼児期から続く習癖行動で、「指しゃぶり」「爪噛み」「抜毛」があります。
小学校の中学年くらいの頃。母から唐突に「小さい頃に寂しい思いをした子って、指しゃぶりをするんだって。ねぇ、さみしかった?」と聞かれました。その時には、相手の望む答えを答える癖がついていましたので「別にさみしくなかったよ」と答えました。その時のやり取りは、部屋の情景から母の表情までよく覚えていて、20年たった今でもたまに思い出します。それ以降、私は、親の前では指しゃぶりと、爪噛み、抜毛をしないようになりました。自分の部屋や、布団の中など、親に見えないところで大人になるまで続いていましたが、おそらく気づいてないと思います。

 

寂しいって言えていたら、違ったのでしょうか。でも、私は「しっかり者のお姉ちゃん」だったから、寂しいなんて甘えた言葉は絶対に言ってはいけないと思っていました。教師をやっている両親は、何か不測の事態があると、夜でも自分の生徒の為に出て行ったりすることがありました。(万引きで捕まったとか、家出したとか)そういう時、「よその子に自分の親を盗られた」という感覚がすごくありました。もちろん口に出すことはなかったけど。今思い返せば、これが寂しいという感覚だったんでしょうか。

 

我儘で自由奔放な性格だった妹にも、しょっちゅう「ずるい」という思いを感じていました。「どこ行きたい?」「何食べたい?」にも、妹は自分の好きな場所、ものをすぐに言えるのに、自分は「妹の好きなものでいいよ」しか言えなかった。でも、お姉ちゃんらしく我慢すれば、親は褒めてくれると思っていたので、そうしていました。私が言いたくても言えない、聞きたくても聞けないことを、妹はなんのためらいもなく、口にできていました。時には、それで親と喧嘩になることもあり、そうすると私は「親にそんな口聞くなんて」と妹を責めて、妹からは「そうやっていつもいい子ぶる」と言われることもありました。そういえば、自分には反抗期がありませんでした。これも、母が何気なく「よそは反抗する年頃なのに、◯◯にはないわね〜助かるわ」と言ったので、それ以上なにもできず。というか、本気で信じ込んでいました。自分は親と仲が良くうまくいっていると。反抗なんてする理由が一つもないと。

 

自分にとって、親との関係は、「決定的な出来事」が特にないのです。だから、何が原因でこうなってしまったのか、全くわからないのです。今だって、はたから見れば、仲のよい親子に見えると思います。実際、親のことを「嫌い」ではないのです。けど、本やドラマで見るような、「安心」や「甘えたい」という感情は感じたことがありません。甘えるのは恥ずかしいこと、ずっとそう思ってきたし、悩みを相談するなんて、考えられません。自分の恥を親に見せるなんて。どうして自分はこんな風に育ってしまったのか、今でも困惑しています。最近よく聞く「毒親」という表現も、うちの場合は違う気がするのです。親は普通なのに、ただ、私が勝手に関係をうまく築けなかっただけじゃないのかと。

 

親との関係だけではなく、友人や恋人とも、本気で信頼することや、心から安心するということがどういう感じなのか、今まで体験したことがないのでよくわかりません。特に恋愛関係はこれまでうまくいったためしがなく、付き合っても「いつ嫌われて捨てられてしまうか」と思うと、その不安に耐えきれずに自分から終わらせてしまいます。それでも寂しさに耐えきれずに、無性に恋人が欲しくなり結局は同じことの繰り返し。長く続いたことがないし、それが、付き合っている間も自分の安らぎになったことがないです。不安材料にしかならない。今まで生きてきて、「心から安心する」と思えたことが一度もないです。それをごまかすために、どんな時間にでも仕事を詰め込むようになり、心身を壊してうつ病になりました。病院の先生からは、仕事依存とも言われました。

 

自分が抱えている漠然とした不安感の原因(かもしれないもの)に気づけたことは、少しは前進できたということなのかもしれません。今は、自分の中の寂しさを抱えている部分(インナーチャイルド)とどう向き合っていくか、関連本を読みながら方法を探しているところです。でも、考えすぎないようにしようとはしています。自分が、誰かから“愛される”それを想像することができないのです。うつ病から復帰しつつある今、家族がいて、戻る職場もあって、それだけで自分は十分幸福じゃないか、そう思うようにしています。

 

インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法

インナーチャイルド―本当のあなたを取り戻す方法

 

 

ポチッと押していただけると更新の励みになります!


ADHD(注意欠陥・多動性障害) ブログランキングへ

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 大人のADHDへ
にほんブログ村