人生初!発達障害者支援センター&精神科へ行く
私は、県の発達障害者支援センターへ、行くことになりました。
発達障害者支援センターとは、発達障害(アスペルガー、ADHD/ADD、LDなど)を
持つ本人や家族、関係者から日常生活や就労に関する相談を受け、必要に応じて助言や
関係機関の紹介などをしてくれる場所です。各県や政令指定都市ごとにあるようです。
当日は、すっごい緊張しました。住んでいるあたりからは少し離れているものの、
誰かに見られたらどうしよう、やっぱり引き返そうかと直前まで門の周辺で
うろついていました。時間になってしまったので、意を決して建物の中に入ると…
まず、部屋がわからなくて迷うこと数分。薄暗い古臭い建物で、人があまりおらず、
用件が用件だけに、人にもなかなか聞けず(当時はまだ発達障害=隠したいという思いがありました)。ようやく、場所を聞き出し、入ると、30代後半ぐらいの、優しそうな女性支援員さんが迎えてくれました。
初日に行ったのは、来るきっかけや、これまでの生育歴の聞き取り調査でした。
人生で初めて話すことがいっぱいで、どこまで話そうかだいぶ悩みながらでしたが、
ほぼ包み隠さず話した気がします。アカの他人の方が話しやすいもんだなぁなんてことをぼんやり思ったりしました。1時間ちょっと話して、最後に「で、今後はどうしたいかご希望はありますか?」と聞かれ「…?希望?」なんも考えていませんでした。
とりあえず誰かに聞いてもらいたいという思いで来てしまったので。ちなみに、
支援センターは医者ではないので、ADHDという診断自体を出すことはできません。
話をしている中で、「なるほど、可能性は高そうですね」みたいな発言は出ましたが。
支援員さんから、「県内で成人のADHDを見てくれる病院がありますが、受診してみますか?」と。ここまで来たくせに“確定”しちゃうことが怖くて、またひと悩み。
けど、受けてみることにしました。けど、教えてもらった病院に予約の電話を入れるも
担当の先生は、初診まで半年以上待ち!当時は、発達障害の診断希望者がこんなに世間にいると知らなかったので、驚きました。その電話の人の勧めで、同じ病院の別の先生に診ていただくことになったのですが、はい、これが間違いでした。
人生初の精神科。緊張しました。緊張のあまり、病院の直前で車に轢かれそうになったのを覚えてます。いざ、院内に入ると、今まで体験したことのない独特の空気。
なんか…暗い…!!どんよりした空気で、あちこちに深いため息をつく人がいたり、
逆に常連風吹かせてスタッフさんと親しげに話してる人とかいて、
早くも帰りたいモードになりました。居心地の悪さを感じながら、ずっと手元のスマホ画面を見て待ってました。
診察が始まりました。支援センターで話したのと同じようにこれまでの育成歴や
仕事での困っていることについて話します。が、先生の反応が…
「日中どうしても眠気に耐えられない」→「早く寝ればいいのでは?」
「遅刻してしまう」→「もっと時計をたくさん置くようにしたら?」
「集中困難」→「人間、集中できる時間は限られているもんですよ」
と、言った感じで。当時まだ気の弱かった私は、「…はぁ」しか言えずに
結局そのまま帰ってきてしまいました。
翌週あった、支援センターの支援員さんは「ごめんね、一緒について行けばよかったね、近県の他の病院に行ってみる?」と聞いてくれたのですが、もう、あんな惨めな思いはしたくないと思い2件目は断りました。傍目に見たら立派な大人。それなのに、自分がだらしなくて1人前の生活ができていないことを自分から人に話すことがどんなに苦痛か。やり場のないもやもやを抱えました。
支援センターでは、その他に、知能テストを受けさせてもらいました。語彙の意味を
答えたり、カードの内容を覚えたりといった感じのテストで、案の定、得意なものは
すっごく良く出来るのに、苦手なもの、例えば計算とか、数字を逆順で暗唱とかは
ひどい出来でした。
で、結局支援員さんと相談し、今自分がやるべきことを「診断の結果にこだわるんじゃなくて、実生活で困っている部分を改善して生きやすいようにする」としました。
なので、ADHDかどうかの結果はグレーのままです。ADHD傾向が強い人という感じです。支援員さんに教えて貰った生活改善の知恵としては、
・仕事のやるべきことを紙に書き出して、できたら1つずつ消していく
・机の上を片付けて、気を散らすものがない状態をキープする
・コミュニケーションスキルは、まずは同僚のマネをしてみる
・忙しくなったり、イラッとしたら一人になれるスペースで一旦クールダウン
・周囲の音が気になるときはヘッドフォンを着用
・ベッドの位置を変えて朝日が当たるようにする
・クレジットカードはなるべく使わない
などです。
このままここに通うのかなぁと思いきや、4回ほど行っただけで終わりにしてしまいました。4回目のときに、支援員さんがポロっといった一言がどうしても自分の中に
引っかかってしまって。片付けができないという話の中で
「食器とかはどうしてるんですか?まさか、使ったものがずーっと置きっぱなしってわけじゃないでしょう?(笑)」と、言われてしまいました。
そうです、その“まさか”って思うようなことをして生きているのが自分です。
これまで、分かってくれるという思いを持っていただけに、やっぱりこの人も
“本当に理解はしてくれないかも”という考えになり、急激に恥ずかしくなってしまいました。自分の頭の中には、何日も前の汚れたお皿が乗ったままの部屋のテーブルが浮かんでいます。恥ずかしくって、「まあ、そこまで何日も放置はしないですけど…笑」と
言ってごまかしました。実際には虫が発生するレベルには放置してましたけど。
それ以来、発達支援センターには行っていません。
自分のADHDとの付き合いの中でターニングポイントになったのは間違いないし、
たくさん助けてもらいました。けど、この時は自分の中でまだ、ADHDを認めきれないし、恥ずかしい、隠したいという思いがあったのです。
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