アラサー女の 成人ADHD記録〜ストラテラ飲んで仕事します〜

アラサー女、成人のADHDだけど、ストラテラの力を借りて、わりと楽しく生きてます。

天職に出会えたADHDは生きやすいとは思う。けど、天職という言葉に縛られると…

好きな仕事ってどうやって見つけるんだろう?自分の場合は、全くの偶然が何度も重なって、たまたま出会った仕事が、ちょうど自分にとっての天職でした。

 

でも、それだって出会ってすぐに天職だって思えたわけじゃなく、なんとなく続けることを4年くらい。その頃に、同僚と喧嘩になりながらも何度も何度も仕事に関して考えをぶつけあったりした結果、気がついたら「ああ、私この仕事がめちゃくちゃ好きだ」と思えるようになっていました。

 

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でも、ADHDにとって同じ仕事を数年続けるってこと自体が難しい。私だって、仕事自体は天職だと思っていたけど、職場の環境には飽きてしまって、それから1年ちょっとで転職してしまったし。で、その後職種としては同じ系統だけど、さらに環境が合わない会社に入ってしまい、うつ病になり今に至ります。

 

復職した仕事で手にした資料に「天職に出会えた人は幸せだ、もう他に望むことはない」みたいなフレーズが書かれているのを目にして、ちょっと考え込んでしまいました。天職って言葉は、あまり簡単に使いすぎると、全てのストレスを我慢する理由にもなっちゃうんですよね。「天職に出会えたんだから、それだけで幸せだよ。君のことを休みがなくてかわいそうなんていう奴は、何もわかっちゃいないんだよ」そう人から言われていたけど、その結果が「天職なんだからもっと頑張らなきゃ」「天職なんだから絶対に成功させなきゃ」「天職なんだから休んでる場合じゃない」「天職なんだから愚痴なんて言っちゃいけない」で、気が付いたらうつ病。ということになったし。

 

なので、休職に入って、一度、自分にとっての足枷になりつつあった「天職」を外して今後のことをぼんやり考えるようになりました。そうしたら、時間はかかったけど、他にも自分が面白いと感じるものがいくつか見つかり、こんな仕事をするという道もあるんだなぁと思いました。コンビニの店員だって、スーパーのレジだって、宅急便の配送員だって、心からの笑顔で、ちゃんと仕事を楽しんでやっているなぁって人を見ると、いいな、面白そうだなって思います。

 

確かに、自分にとって得意なことを生かして成果を出して人や社会に貢献できる仕事に就けた人は幸せだと思う。でも、それは瞬間瞬間で自分自身が「ああ、幸せだな」って感じることができればそれで十分で、その上でたまに人に、仕事で褒められると自分の仕事を誇らしく思える。きっとそういう顔で仕事をする人には、他の人を気分良くさせる力があると思うのです。

 

とすると、やはり天職は、天職を探そうとして見つけるものじゃなくて、やっているうちに自分にとって本気で取り組めるものが気がつくと天職になっているんじゃないでしょうか。そして、天職であったって、疲れたら休みが必要だし、たまには嫌になるし、それでもなんだかんだ好きだから戻ってきちゃって、また夢中になれる。そんなものが天職と言えるものかなと思います。

 

もう二度と考えたくないと思っていた仕事のはずなのに、復職した今は、気がつくと、動きの悪い頭ながらに必死で考えていて、その瞬間はやっぱり、楽しいと感じてしまうんです。もちろん、過集中で一気にのめり込むのは危険すぎるので今はだいぶセーブしてますが。こんなになっても、この仕事好きなんだなぁって、思いました。

 

ADHDの仕事探しでは、必ず長所を生かしてうんぬんと書かれているけど、自分には長所なんかないという人が多いので、自分の場合はどうやってここに辿りついたのか振り返ってみました。好きなこと、面白いと感じたことをやってみる。今はピンとこなくても、続けていくうちに、ピタッとハマる瞬間があるかもしれないし。だって、面白いことじゃないと、続けられないという人が多いでしょう?集中できることを突き詰められる特性を生かした仕事が見つかると、本当に生きやすくなると思います。あ、私生活は別だけど。少なくとも仕事に関しては。

 

まとまらない文章になったけど、働きたいのに、うまく働けないというADHD持ちさんが多いので、なんかみんな上手くいったらいいのになぁともどかしい思いで、ゴールが見えないまま書いた結果こうなりました(苦笑)まとまりがなくてすみません。

 

 

「天職」がわかる心理学

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