アラサー女の 成人ADHD記録〜ストラテラ飲んで仕事します〜

アラサー女、成人のADHDだけど、ストラテラの力を借りて、わりと楽しく生きてます。

大学生の頃のこと ー片付けられない女、本格始動ー

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 さて、大学入試の時、センター試験で事件が起きます。

人生に一度の大事な試験、自分の今後の進路がかかっている、そんな中で…

私、、、寝ました。

だって、気づいたら寝てたんだもん!

幸い、完全に眠りこけたのは1教科だけだったし、自分が入りたい大学は

特殊だったので技術重視で学科はそこまで比重が重くなかったので、

人生への影響は、ギリギリセーフ…?

ちなみにこの件は、親にも誰にも話していません。自分でもびっくりでした。

日頃から眠くなることが多かったけど、人生の大一番で寝てしまうとは…。

 

 

幸い、第一志望の大学に入学します。

場所は、実家から遠かったので、念願の一人暮らしがスタートです。

7畳の1Kの部屋でした。何が嬉しかったって、これからは自分のペースで

暮らせるのです。部屋を片付けろとガミガミ言われることもなく。

この時の自分は、「片付けなんて、一人暮らしになったらやればできる」と

本気で思っていました。

 

大学生活が始まりました。一人暮らしは思っていたより、静かで寂しかったです。

数ヶ月に一回、実家に帰るたびに、駅まで迎えに来てくれる両親が見えると

鼻の奥がツーンとして、涙をこらえるのが必死でした。

最初の頃は、新しい環境に慣れるのに、それはそれは必死でした。

地元と比べると、人がとんでもなく多いし、車も多いし、店も多いし

緊張感たっぷりで、学校へバスで通って、授業に出て、バイトをして、

毎日ヘトヘトになっていました。

そうすると、当然部屋は散らかり放題です。

以前の、洋服や本に加え、日用品や食器、ゴミまでが部屋に散らかり

始めました。なんか、思っていた一人暮らしと違う。

平日は、休みの日に片付けようと思うのですが、休みの日になると、

ぐったりで起きた時にはもう昼過ぎ。夕方からはバイトに行かなきゃ行けないし

とりあえずと思ってテレビをつけると、たいして面白くもない番組を延々と

見てしまいます。平日も休日も、部屋が片付かない。部屋が汚いから

何もする気が起きない。悪循環の始まりでした。

 

大学生活は、中学、高校に比べるとずっと楽しいものでした。

特殊な大学のせいか、あまり群れることがなく、みんな各々自由な感じです。

そして、ヘンな人が多かったです。授業も、選択で自分で選んだものは、これまで

知らなかった世界が広がるようで本当に楽しかったです。

ただ…大教室でプロジェクターを使う授業が多く、部屋が暗くなると

どうしても睡魔に勝てず、ここでもよく眠っていました。

これは本当に悔しかったです。興味があって、聞きたい話なのに寝てしまう。

友達から「また、寝てたでしょー」とからかわれると

「だって、かったるいんだもんー」と笑いにしていましたが、

内心は情けなくて落ち込んでいました。

 

大学も後半になってくると、長期間でこなす課題が多くなってきます。

3ヶ月も前に提出期限が告知されていて、ずっと頭の中にもあった

所属ゼミを決めるための大事な課題。

私はそれを、間に合わせることができませんでした。

だって、毎日疲れ果てていて、いつやればいいのかわからなかったし、

やろうと思っても、そこから数時間はボーッとしたりネットサーフィンをして

しまって、気が付いたらとっくに深夜で風呂も入らないまま

とりあえず寝て、翌朝遅刻ギリギリに飛び起きる。そんな毎日でした。

 

結局、着手したのは数日前。連日徹夜して必死で取り掛かりました。

提出前夜、友達から自分の課題を手伝って欲しいと声をかけられました。

自分のが全く終わってない、おそらく自分の方が進度も遅い。

でも、断りませんでした。こんなにもダメな生活を送っているのに、

それを必死で隠して、周囲からは仲間内で1番のしっかり者と

言われたりしていたんです。外面だけは良かったんです。

でも、その時は「たぶん間に合うだろう」と本気で思っていたんです。

夜通しで取り組んで友達の分を手伝い終えた後、

急いで自分の課題に取り掛かりました。すでに外は明るくなっています。

最後の方はもう、やっつけ仕事でした。

3ヶ月もあったのに。

徹夜明けで、シャワーも浴びずに家を飛び出しましたが、

時間はすでに一刻の猶予もなし。そういう時に限ってバスは来ない。

少ない生活費には痛手でしたが、タクシーで学校に向かいました。

運転手さんに頼んで学内に入って校舎の1番近い場所で

降ろしてもらって、お釣りも受け取らずに駆け出して。

必死で走ったけど、間に合いませんでした。

 

友達はみんな心配そうな顔で、でも気まずそうに声をかけてくれました。

恥ずかしくて、恥ずかしくて、この時はもう笑ってごまかすこともできませんでした。

結局、時間を過ぎたものは告知していた通りアウト。

ただし、参考までにという理由で、受け取ることだけは許してもらえました。

 

情けなくて、家に帰ってボロボロ泣きました。

3ヶ月も前から分かっていたことなのに。

他の人はちゃんとできているのに。

どうして自分はこんなにだらしがないんだろう。

見渡すと、部屋は相変わらずぐちゃぐちゃだし。

何もかもが嫌になって、わんわん声をあげて泣きました。

のちに分かる「先延ばし癖」が、人生で1番自分を苦しめた時でした。

 

そういえば、バイトでも失敗はしていました。

まず、起きたらバイトの時間が過ぎていたことが数回。

接客業なので、平謝りです。高校生のバイトの子もいるけど、

すっぽかす子なんて私の他にはいませんでした。

他にも、要領が悪くてお客さんに怒られることがしょっちゅうありました。

空いている時はいいのですが、忙しくなってきて、同時に

複数の出来事があると何から手をつけていいのか

全く分からなくなり、なんとなくで選んだ順序がよりによって1番

効率が悪かったりしていました。

 

そして、極めつけは、大学最後の大勝負、就職活動です。

第一志望の企業の2次面接まで奇跡的に進めたところで、

なんと、、、遅刻をしました。

しっかり早起きしました。

準備も進んで、電車の時間も調べてあったのに、

どうしてか家を出るのが遅れて、集合時間に遅れてしまったのです。

せっかく丁寧に就活メイクをしたのに、全力疾走して

汗だらけの状態で会場につきました。

面接官のご厚意で、順番を変更して最後に面接をしてもらえることになりましたが、

自分の頭の中は、遅刻してしまったという後悔でいっぱいです。

ひたすら謝りました。面接のお礼を兼ねた謝罪の手紙も書きました。

けど、時すでに遅しです。何十人という学生を面接して落とす場で

遅刻なんていう大失敗をした学生を残すわけがありませんでした。

本当に情けなくて、落ち込みました。教授にも親にも言うことが

できませんでした。だって、自分でもわけがわからなかったのです。

どうしても行きたい第一志望の企業だったのに、なんで

遅刻なんてしてしまうのか。

 

結局、就職先は教授の紹介で卒業の直前に決まりました。

ただし、雇用形態はアルバイトでした。

 

→社会人生活へ続く

 

 

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